超繊細な男マーロウの行く狭き道を体感せよ -レイモンドチャンドラー「長いお別れ」
再読。青春時代に一度だけ読んでそれ以来なので、少なくとも20年以上ぶりにはなるだろう。内容はすっかり忘れてしまったのに「とても面白くて大好きな本」という印象だけが強く心に刻まれていた不思議な本。だからこそ好きな作家としてチャンドラーの名前を挙げてもいる。
参考ページこのウェブサイトって?「本が好き」
先日古本屋で見つけて、その懐かしさから思わず購入してしまった。そして読み返してみたら全くその通り、とても面白くて大好きな本であった。
あの頃のフィリップ・マーロウと、今思うフィリップマーロウ。
以前読んだ時の印象をより正確に書くとすると「とても面白くて大好きだが内容はよくわからない本」であったことを、再読しながらありありと思い出した。
その要因の多くは主人公であるフィリップ・マーロウの行動から来るもので、彼と同じ年代となった今のわたしなら痛いほど理解できるその行動原理が、当時の若造には理解しにくかったのだろうと思う。さらには著者レイモンド・チャンドラーの、余計なことをうだうだ説明しないという筆風もそれに拍車をかけ、全体としてより一層難しく感じたのではなかろうか。逆にそのようなことがあっても、読み終えた後に残ったのがとても良い印象であったということは、それだけこの本の持つ空気感がわたしに合っていたのだと言えるのかもしれない。
さて。それではいつも通り物語の内容については深く追いかけることなく、それ以外の部分でわたしの所感をダラっと書いていくことにしよう。
友情ってこんなもん マーロウとレノックスの愛すべき関係
これから書くことは本題の最初にして、この本についてわたしが一番気に入っている部分でもある。
テリー・レノックスは物語の冒頭でひょんなことから主人公マーロウと知り合い、やがて2人は友人関係になっていく。普段は簡単に心を開かないマーロウの側からの方がむしろ、相手に対して強い好意を抱いており、結果的にこの関係が物語を進めるメイン・エンジンの役割を果たすわけだが、特徴的なのは、そういう関係になるための具体的なバックグラウンドやきっかけが描かれないということだ。
ロールスロイスの中で酔いつぶれていたテリー・レノックスにたまたま出会ったマーロウ。それはいい。そしてそのまま連れに置き去りにされてしまったレノックスを車で家まで送り届けるマーロウ。それもいい。そこでいくつかの他愛もないやり取りをし、彼が最低限の礼儀をわきまえていることを知り、そして滅多に心を動かされないマーロウをして、どこかに心をとらえる何かを持っている人物だと感じる。しばらく経った収穫祭のすぐあと、二人は2回目の出会いを果たすわけだが、またしても酔いつぶれていたレノックスをマーロウが警察官から救ったその日にはもう「親友」と呼べるほどの心の通い合いがあった。
もちろんレノックスとしてはマーロウに色々とお世話になっているわけだから、それがきっかけと言えばきっかけなのだだろう。しかしマーロウの方はといえば、レノックスに何かをしてもらったから助けたわけではなくて、あくまで「心をとらえる何かを持っていた」からそうしたわけだ。もっと簡単な言葉で言い換えるならば、何となく好きなレノックスのためだから、マーロウはこのあと身の危険も顧みず事件の渦中へと足を踏み込んでいくことになる。
ハッキリ言って、最近の常識からするとこのバックグラウンドは弱すぎるのだ。
命を懸けて誰かを助けるのなら、それ相応の具体的なバックグラウンドが必要だというのがここ最近のコンテンツ・マナーであり、それを描くために数話分のエピソードが消費されるのはもはや当たり前のこと。それがこの物語においては、一応レノックスが戦時中にしたヒロイックな行動などについての言及はあれど、マーロウの動機としては「何となく好きだから」という理由が全てなのである。そしてわたしはこの最弱のバックグラウンドにこそ深い愛のリアリズムを感じてしまうのだ。
AだからB、BになったからCというようにプロットとしての必然性が担保されている物語もわかりやすくて良いのだけれど、そればかりではつまらない。具体的な理由がないからこそ育まれる想像の力が、作られた必然性を超える意味を生み出すこともままあり、この本がまさにそうであったからだ。そうした意味でチャンドラーの描く二人の何気ないやりとりは必要十分のものであったし、だからこそマーロウの気持ちはすっとわたしの腑に落ちたのである。
こうした作風が成り立つのはひとえに、チャンドラーの描き出す人物像が頭抜けて高解像度だからであり、これはわたしが好きな作家たちが共通して持っている要素でもある。つまりは合うんだな、やっぱり。
マーロウ=アクティブな陰キャ説
チャンドラーの本は弟に借りて読んだのが最初だった。なのでフィリップ・マーロウという私立探偵が主役だというのは彼から聞いて知っていたし、またハードボイルドなキャラクターであることも知っていた。でもその認識が今となれば違っていたのかなって。
以下に引用するマーロウのセリフを読んでみて欲しい
「君はそのつもりじゃなかったろうが、ぼくは君に感謝しなければならない。デイトンもだが、君たちはぼくのために問題を解決してくれた。だれだって友だちを裏切りたくはないが、たとえ敵であっても、君の手には渡したくない。君はゴリラであるだけでなく、能力もゼロだ。かんたんな尋問もできやしない。ぼくはナイフの上にやっと立っていたような立場だった。どっちへでも傾けさせることができたんだ。だが、君はぼくをののしり、コーヒーをぶっかけ、抵抗のできないぼくをなぐった。こんな目にあったからには、君の部屋の時計がさしている時間を訊かれても、君には教えたくない」
-レイモンド・チャンドラー「長いお別れ」
…これ、めっちゃ早口で喋ってない?顔を真っ赤にして涙目で早口で喋りつつも気持ちが先走ってしどろもどろになってない?「君の部屋の時計がさしている時間を訊かれても、君には教えたくないぃ(涙!」みたいな。わたし自身が生粋の陰キャなのでよくわかる、これは正直陰キャ味あります。
加えて彼は超が付くほど繊細なマインドの持ち主だ。
「こんな具合にね。そうだ。ぼくは夫には違いない。役所の記録ではそうなってる。真っ白な階段を三段上がると、緑色の大きな扉がある。真鍮のノッカーを長く一つ短く二つ叩くと、女中が出てきて、百ドルの女郎屋に入れてくれる。それが僕の生活だ」
私は立ち上がって、いくらかの金をテーブルにおいた。「よけいなことをしゃべりすぎるね」と、私はいった。「自分のことをしゃべりすぎるよ。また会おう」-レイモンド・チャンドラー「長いお別れ」
そうしてマーロウはバーを去ってしまう。彼の前ではこの程度の愚痴でさえ即レッドカードが出されて退場というはこびになってしまうのだ。え~…いくらなんでも厳しすぎでは?友達同士でお酒を飲んでいるならこのぐらいは普通なのでは??これがしゃべり過ぎだというならスーパーの通路のど真ん中で世間話に花を咲かせている淑女たちは漏れなく無期懲役なのでは???このストイックさをハードボイルドと取るか、はたまた陰キャ特有の心の狭さと取るか…。
「わざわざ、ぼくをからかいにきて、何のとくがあるんだ。きまり文句をならべても、驚きゃしない。君たちはみんな同じだ。ぼくにいわせれば、全部エースばかりのカードなんだ。なんでも持っているが、何も持っていないんだ。いつも、自分の手ばかり、見てるんだ。テリーが君にすがりに行かなかったのは当たり前さ。パンパンからお金を借りるようなもんだからね」
-レイモンド・チャンドラー「長いお別れ」
「いつも!自分の手ばかり!見てるんだぁ(涙!」はいやっぱり陰キャです本当にありがとうございました。
まぁ半分はいつもの冗談だとして、マーロウが繊細で理知的な男として描かれているのは間違いない。
彼は置かれた状況を常に深いところまで理解し、その裏側にある人間模様の虚しさ、汚さを敏感に感じ取り、それでもそれは単に都会が患いがちな一種の病気であるという認識で受け入れる。例によって彼のわだかまりが具体的に描かれることはほとんどないが、その片鱗は必要十分な程度に表出する。若い頃にはもっとシニカルな捉え方に見えていたそれは、今こうして再読するととても繊細で弱い側面をも持ち合わせているように見えて、それがハードボイルドだというならそうだろうし、今の感覚なら「陰キャ」という言い方もそれほど遠くないように思えるのだ。
マーロウと共に狭き道を行く豊かな体験
そんなマーロウだからこそ、その繊細な感性をもってして全方位に放たれるシニシズムにはなかなかのものがあり、己の信念を曲げないことと引き換えに敵ばかりが増える。そうして進むべき道はどんどん狭く険しくなっていく。
「失礼だけど、あんたはあまりりこうじゃないね」
「僕もそう思っているよ」
そうして飄々と、かつ力強い足取りで自分の道を行くマーロウと共に歩んでいくような本著の読書体験は、波長が合う方にとってはきっと豊かなものになるであろう。