マチダの生活

82026 14

「ジブリの教科書」を通して味わう魔女の宅急便の魅力

 こんなことをしていたせいですっかり更新が滞っていたわけだが、その間に読んだ数冊の本について感想を書いていきたいと思う。

 1冊目は今回ご紹介する「ジブリの教科書5 魔女の宅急便」だ。

 この本は中学生の長男が夏休みの間に読むために学校から借りてきたもので、原作小説ではなく、劇場アニメーションとしての「魔女の宅急便」を多角的な視点からナビゲートする公式解説本である。普段は小説しか読まないわたしだが、何となく手に取ってみたらとても興味深い内容で一気に読み終えてしまった。たまにはこういう本もいいね。

キキは確かにコリコの町で生きている

 中身は映画が作られた経緯や主要スタッフのコメント、著名文化人による解説やエッセイ、宮崎駿監督のインタビューなどで構成された、まさに魔女の宅急便というアニメ作品を読み解くための「教科書」と言ってよい内容になっている。

 当記事ではその内容の一部にしか触れないが、ジブリ好き、または魔女の宅急便好きの方であれば最後まで楽しく読めると思うので、チャンスがあればぜひ目を通してみるといいだろう。

参考ページジブリの教科書5 魔女の宅急便

宮崎駿の描くリアルとは

 魔女の宅急便と言えば、13歳になった新米魔女のキキがそのしきたりに従って独り立ちし、海辺の大都会「コリコ」で成長していく姿を描いたファンタジーだ。

 その舞台となる街の様子、穏やかに頬を撫でる海風の匂い、キキが過ごす部屋の空気感などをありありとイメージできる人は少なくないと思うが、そのような印象深い世界観を宮崎駿監督は並々ならぬ熱意で構築している。

「いちばん大事なことは、キキの住んでいる町と部屋が存在するものとして、見る側に伝わることです。~中略~ 町をどういうふうに描くかというのは、想像以上に重要なキーポイントなんです。美術の力ももちろん、スタッフ全員の力量がそこに集中しないといけない」

-ジブリの教科書5 宮崎監督のインタビューより

 美術の大野氏の発言に「現実そのままのリアルさを求められて手こずっている」とある。これはもちろん写真の色遣いをそのままコピーすればよいという話ではなく、『アニメ表現ではあれど、その印象が現実として体感されるようなリアル』でなければならないはずだ。それはある意味でモネの描く光彩が映し出す現実感と同質のものだろうし、ならば「スタッフ全員の力量がそこに集中しないといけない」のはもっともなことだと思う。

 そしてその試みが見事に成功しているのはご存じの通りだ。キキの暮らす世界は鮮やかな現実感に彩られ、そこで展開するストーリーに並々ならぬ深みを与えている。そしてそれは何気ない日常描写でも同じことだ。

「ごはんを食べたり、布団にはいるのを描くのが、日常生活の描写ではないんです。生活することを通してある内容を描写するとき、連続した時間と空間を映像の中につくる努力をしなければならないという意味なんです。~中略~ 家事、雑事のシーンをいくらやっても、だから生活が描けるというものじゃないと思っています」

-ジブリの教科書5 宮崎監督のインタビューより

 連続した時間と空間を映像の中につくる、というような監督のこだわりは、前述した現実感のある舞台上でなければ実現できようはずもなく、でなければどんな工夫を凝らそうとも形骸化してしまうだろう。つまり『その印象が現実として体感されるような舞台』があり、その舞台で日常生活を送る人々の『連続した時間と空間』が描かれ、これらの要素が相互に影響して出来上がった極めてリアルな世界の中でキキの物語が紡がれていくわけだ。そんなのもう、面白いに決まっている。

キキが魔法を使えなくなる問題

 そうして展開するキキの物語において、誰にとっても特に印象深いのは魔法が使えなくなってしまうくだりではなかろうか。だからこそこれについては様々な方の解説が様々な媒体で展開されており、中でもよく耳にするのが以下のような言説である。

 十三歳。初潮のくる年齢だ。少女が女になるその節目。前近代なら成女式(イニシエーション)を経て、おとなの女になる。~中略~ 少女の身体に性の匂いがまとわりつく。乳房がふくらみ、からだがまあるくなる。キキも例外ではない。色気のない魔女の黒服のもとでも、からだのふくらみは感じとれるし、風にめくれ上がるスカートから下着がちら見えしたりするのは、どんなに抑制しても「女」を感じさせずにはいられない。ずぶぬれになった衣服を下着まで洗いざらい洗濯ひもにかけたシーンは、どことなくエロティックだ。作品が性の匂いをいくら消そうとしても、おのずと匂い出てしまう。

-ジブリの教科書5 上野千鶴子さんの解説より

 と、いう前段があって。

 その(【マチダ追記】トンボに対して異性を意識し始めた)あとだ、キキが魔女の「神通力」の喪失を経験するのは。同じ頃、故郷を離れてからずっと一緒だったペットのクロネコ、ジジが同じように性にめざめる。~中略~ 少女が霊性を持つための条件が「初潮までの年齢であること」「処女であること」と結びついている文化は各地にある。ブルータス、おまえもか、の感がするのは、性にめざめるとともに少女の神通力が失われるという設定が、あまりに定番どおりの展開だからだ。そしてここにも性の匂いを感じないわけにはいかない。

-ジブリの教科書5 上野千鶴子さんの解説より

 こういう帰結になるんだな。

 わたしが今までいくつかの媒体で目にしてきたこの手の言説は、もしかするとこの上野千鶴子さんのものが初出なのかもしれない。

 確かに、初めてそのシーンに触れた幼少期に何とも言い難い違和感を感じていたのは確かで、その裏側に込められた答えが性的なものであるのかもしれないという事実は、当時のわたしにとって充分に衒学欲を満たすものだった。だから当然そのようにそう理解したし、我が物顔で友人たちに披露したりもしたものだ。しかし40代も半ばとなった今では、その答えを「性」に限定して語ることが何だか笑えるぐらい見当外れな気がしてしまっている。

 この本の中に「飛べる」「猫と話せる」というようなキキの持つ魔女能力について、これは絵を描く才能がある人が初めから何も考えずに描けてしまうような、歌を歌う才能がある人が始めから何も考えずに歌えてしまうような、そんないわゆる普通の「才能」と同義である、という宮崎監督本人の談話が繰り返し登場した。だからキキは飛べるということに対してさほどの特別感も抱いていないと。なるほど映画を見返してみると確かにそのように見える。この話についてのより突っ込んだ見解は本を読んでもらえばいいとして、だとすればそんな才能が突然使えなくなってしまうタイミングがあることに、一つの明快な理由が設定されているというのはあまりにもプロット的発想ではなかろうか。

人それぞれに、自分の答えが見出せる物語

 それまで出来ていたことがあるとき突然できなくなってしまったのは、もっとできる人と出会ってしまったから?それとも自分に特別な才能があると自覚して、それを違うだれかのものと比べてしまったから?初潮がきて、または精通して大人になったから?それまで練習したこともなかったのに、もっと才能を磨こうと意識した瞬間にバランスが崩れてしまったから?誰かに嫉妬するという気持ちを知ったから?朝ごはんを米からパンに変えたから?目玉焼きにしょうゆではなくソースをかけたから?

 答えは、全て正解だ。とわたしは思う。そして宮崎駿監督の描く物語にはそれを許容するリアリズムがある。

 小さな島から旅立ったキキは、コリコの町で自分が飛べるということについて驚嘆され、褒めそやられ、そしてその能力を使ってお金を稼げるようになった時、いよいよこれは自分の才能だと、他人に自慢できるステータスだという自負が芽生えたのだろう。しかしそれと同時に、その能力ではどうにもならない同年代との人づきあいや異性との関わり方の中で、思春期特有の嫉妬や憎しみに苦しむこととなる。ジジにも恋人ができるし、自分は風邪をひいちゃうし、もしかすると初潮が来たという設定なのかもしれないけどもういいだろう、そりゃあ飛べなくもなるよっていう。プロット的な証拠は全然わからんけど大人になったからわかるそりゃあそうだろうっていう。

 その後どうにか飛べるようになった後のラストシーンでも、やはりジジと話すことはできないままだった。子どもの頃には腑に落ちなかったが今ならわかるそりゃあそうだろう。そういうことが人生では起こるんだよなんだか切ないけどそういうもんなんだ。決して悪いことじゃないんだ。

 『その印象が現実として体感されるような舞台』があり、その舞台で日常生活を送る人々の『連続した時間と空間』が描かれ、これらの要素が相互に影響して出来上がった極めてリアルな世界の中で展開するキキの物語もまた、匂い立つほどに現実的であった。答を性に限定してしまうことには相変わらずクスっとしてしまうけれど、でも決して間違いではない。正しいとか、間違っているというのはあくまでプロットの中にあるのであり、キキの個性はそういったものを超えた先に存在していると思えるからだ。

 キキは確かにコリコの町で生きている。

 宮崎駿監督と、彼の信頼するスタッフ全員がその全力を持って描いた世界の中で生きている。

 願わくば彼が描く新しい世界も見てみたい。そういった作家がいるということだけでも、わたしは幸せ者だなあと思う。

参考ページわたしの好きな作家やコンテンツについて

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