マチダの生活

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マチダが決定的にXに向いていない2つの理由

 この度、マチダはXを始めた。

マチダのXアカウントhttps://x.com/machida_x

 始めに断っておくが、わたしはわたしのXアカウントをXらしく育て上げていくつもりは毛頭ない。というより、わたしにはそれをする才能が決定的にないのだ。

 その理由をこれから書いていこうと思う。

なぜマチダはXが出来ないのか

 「だったら何で始めたのよ」という疑問に先にお答えしておくとすれば、それは、何となくこういう活動にはセットだからできることはやっておきたいというだけのことで、それ以上の意味はないのである。Xはわたしにとって『やってる感を得るためだけのツール』であり、そういう意味では梱包材のプチプチをプチプチする作業と似ている。

理由1:発信したい事柄がない

 あぁこれたぶんわたしの人間的欠陥の内容を書く記事になるんだなぁ…ということがこの見出しを作った今わかった。まあいいんだけど。

 もともとわたしは一人で何かを考えるのが好きで、中学の時にひきこもり(当時は「登校拒否児」というリアルな名称だった)になったのもこのことが多分に影響している。わたしには自分の考え方があり、考えるタイミングがあり、考え方の筋道があり、それがどうも他人とは違っていて居心地が悪い。小さい頃から感じていたこの違和感に耐えられなくなってしまったのがこの頃だ。もちろん大なり小なり誰にでもあることだと思うのだが、もしかすると他の人よりそれが強いのではないか、と。

 どうにか高校生になり、偶然にも超ド級のカースト上位グループの一員となってからもその傾向は変わらず、むしろ加速していった。自分はどうしてこうなんだろう?みんなこんなに優しくしてくれるのに、なぜ居場所がないと感じるのだろう?

 その頃に出した結論で、今でもわたしの人生の指針になっていることは、「自分」と「他人」とは元来、次元を隔てた彼方に在る存在であるということだ。

 自分には自分の、あなたにはあなたの考え方があり、それは一見似ているように見えても突き詰めた先には必ず違いがある。「違い」という言葉はたやすいが、次元を隔てたもの同士の「違い」はもう宇宙的規模の別離を含んでおり、その邂逅は彗星が地球をかすめるがごとくだ。だからこそそれは奇跡にも似て、美しく、尊い。以下の記事にも他人について似たようなことを書いたが、こうした感覚は大人になってそうなったのではなく、わたしが個性の一つとして生来持っていたものなのだろう。

参考ページマチダは超知能AI(ASI)についてそれほど心配していない

 とはいえ人生は紆余曲折である。わたしにもあった青春時代には、そんな他人に対して自分の主張を涙ながらに訴えたこともあったし、そんな他人の心持ちを変えようと何時間でも語り合ったりしたものだ。とてもいい思い出だが、でもね、やっぱり三つ子の魂百までなのよ。四十にして惑わずなのよ。思えば遠くまで来たものだなぁ…とふと周りを見渡してみたら、結局は見慣れた景色のど真ん中にアホ面下げて突っ立っていた。

 このような書き方をするとどこか超然として見えるかもしれないが、実際のところそんなことは全然ない。

 「自分と他人とは本質的に全く違う存在だ」と捉えるからこそ、無意識に他人をないがしろにしてしまったり、自己中心的な思考に陥ってしまったり。自分はなんて冷たい人間なんだろうと自己批判することもままある。しかしこの歳になってこの性格を直そうなどということはついぞ考えておらず、妻とつまらないケンカもするし、子どもたちに怒りすぎてしまって落ち込むこともあるし、何をやってもうまくいかない日々ではあるがそういった迷走も含めた事柄全体を「それでいいのだ(CV:雨森雅司)」で片付けてしまえるようになったのは、自分と他人についてのある意味での諦めからくる一つの福音でもあろう。

 で、ここまで書いたらなんとなく伝わると思うんだけど、こんなわたしがXで何を発信しろと??

 まず他人に共感してほしい事柄が無い。だってそれは本質的に不可能なことだから。これについてはマジでまっっったく一つもなくて、からっけつのゼロだ。だが伝えたいことはある。しかしそれは家族やごく近しい友人に対してだけで、遠い他人に伝えたいことなどこれまた全くない。わたしとって他人とは遠い銀河に住む謎の宇宙人と一緒の存在なのだから。(当サイトはこうした意図で作られたものではないということはいつか書いてみよう)

 発信したいことが無い人にとって、Xを使うメリットはこの時点でその半分が失われている。

理由2:誰が何をしているかについて興味がない

 そんな性格なら当然見出しのようになるでしょ。

 だって親しい友人の動向についてもさしたる興味が持てないんだもの。ちゃんと元気で生きていてくれさえすればそれでいいというか。もちろん何かに困っていれば話は全く別で、すぐに飛んでいって助けてあげたいと思うよ。実際に助けてあげられるかどうかは別にしてね。でも元気であれば、今日もヤツは元気でやっているんだろうなぁという想像だけでわたしは十分幸せなのだ。もちろんお酒を飲みながら話が出来ればラッキーだし、旅行の計画なんかを立てられればもっともっとラッキーだし。でもそうでなくても一向に構わない。わたし抜きで遊んでもらったっていい。しつこいようだが元気でやっているなら。

 だとすれば知らない人がどこで誰と何をして、その時にどんな面白イベントが起こって、それについてどんな頭の良い感想を述べたか、そんなものにはクソほどの興味も持てなくて当たり前…いや、この気持ちをもっと冷静に…正確に表現するとすれば、2日前の晩ご飯の副菜に入っていたひじきの本数ぐらいどうでもいい。

 残りの情報はあれか、普通のニュースぐらいのものになってくるのだが実はこれについても遠い地方の台風やなんかには全然…いやダメだな!いくらなんでも優しさが足りないぞ!わたしの実家も水害で大変な目に合ったのにでもしょうがないんだ科学や動物のニュースとかなら楽しく読めるんだけどそれ以外はダメなんだ。

 はいこれで残りの半分も失われましたさようなら。

そんなわたしのこれからのX

 実はXを使うのは初めてではなく、以前やはり別のサイトの宣伝という意味合いのアカウントで、フォロワー数百人程度の小規模アカウントを頑張って育てたことがあったがこれがまぁ~辛かった…

 さしたる興味もない人(その人のせいではなくわたしの欠陥のせいで)をどんどんフォローし、逆にフォローされ、ポストに対していいねをもらえればそれを返しに行き、コメントをもらったり、こちらがコメントしたり、こうしたやりとりの一つ一つについてわたしが楽しいと思えることが(しつこいようだがわたしのせいで)何一つないのだ。なんと空虚なことだろう。

 結論としては、だからもうそういうことは今後一切やらない。わたしにはその才能がないのだから。できないことはもうやらない。

 逆に言えばそれをしなければXを使うのは簡単だ。ただただ更新情報を流しつつ、まれに気になったポストがあれば引用してみたり。実際に今日までそのように使っているがなんと気楽なことか。「アカウントを育てよう」などという意識さえ捨てれば、フォローしたりされたりという行為も本当にそうしたい時にだけすればいいのだから、それなら楽しくできるような気がする。こんなことならこのサイトを始めたのと同時にアカウントを作っておけばよかったとさえ思った。

 というわけで、マチダのXアカウントは大した変化もなくダラダラと続けていくことになると思うが、気が向いた時にでものぞいてみてもらえたら嬉しい。

マチダのXアカウントhttps://x.com/machida_x

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