秋になって植物の様子も変わったぞ【2026年10月】
今年の6月から植物の観察を始めて以来、はじめての冬に向かっている。もう朝晩はだいぶ寒いもんね。ここ数日で冷え込みがまた一段と深まった印象だ。
新しい植物を調べるのもいいけれど、今回はもう知っている植物、調査済みの植物たちが秋を迎えて今、どのような姿に変化したのかをご紹介してみよう。
小さい時から見てきたことだけど
主な変化といえばやはり色が変わったり、実を付けたり、花が落ちたり。おおよそ我々が常識として知っているものばかりで、特別どうといったことはない。でもね、わたしはお外を飛んで歩いていた幼少期を終えたあと、ずっとこうしたことに気を配って生きてこなかったから、なんだかすごくノスタルジックな気分なんだ。『季節感』って、どこかそういうニュアンスが含まれた感覚のことを言うのかもしれない。
イヌホオズキ

あらためてwikiを読むと「ホオズキやナスに似ているが役に立たないことから名付けられた」「一般的な家庭の庭にも生え雑草として家主を悩ます」など、さんざんな言われよう。しかし夏のあいだはなんともかわいいお花が咲いていたものだ。
黒い実の中身はミニトマトのような構造の液果になっているらしい。今度こっそり採って解体してみようかな。雑草だからいいよね、きっと。
※後日加筆:なんとこの文章を書いて数日後に刈り取られて跡形も無くなってしまった!実の中身を見るのは来シーズンに持ち越しだ…無念。
トウカエデ

カエデ科特有の「翼果(よくか)」と呼ばれるプロペラがついた独特の形をした実。すでに色づき始めているが、もっと秋が深まりさらに熟してくると、クルクルと回転しながら風に吹かれて飛んでいくらしい。マジかよ…クルクル飛ぶの見てみたいぞ!
ガクアジサイ

押しも押されもせぬ私のお気に入りナンバー1。咲き誇った時期も恐ろしいぐらい(キモいぐらい)美しかったが、枯れ始めた姿だってなんとも趣があるじゃないか。
なんていうか、その…わたしが今この画像を見ながら感じている魅力を言葉にするとね?色彩もさることながら、その形状のバラエティさというか…なんかほら、あの骨じゃないけどさ、枝分かれしたみたいなのがあったり、ほら色もね、いや色彩もさることながらって言ったか。あの~ほら、葉っぱの色も様々だったり、花の落ちたあとの様子もなんか幾何学的な形でやっぱりめっちゃキモくてさ、ほら…その、あれだよほら色彩のさ(ダメだった
マツバギク

夏の最中、あまりの暑さに他の植物がどんどんギブアップしていく中、平気で花を咲かせ続けていたマツバギクも、ついにこの一ヶ月ほどで花を落とした。しかし見ての通り、多肉質の葉の内部には未だ生命力をたたえているように見える。果たしてこの先「枯れる」という状態になるのか、それともならないのか。
ザクロ

参考ページ植物の名前が知りたい Part2 ザクロ
実家に生えていた大きなザクロの木。もともとそこに住んでいた父が亡くなって以来、わたしもたまにしか様子を見に行けないし、知らないうちに何かトラブルがあっても困るし。去年の冬に業者に頼んで手ごろな大きさに剪定してもらった。そのせいか今年は一つも実をつけなかったがこちらはどうだい、立派に生ったじゃないか。
この実を見るたび、時期になると父と一緒に木からもいで、割り裂いては中身を食べたことを思い出す。それは毎年、とてもよく晴れた秋の午後のことだった。また実を付けてくれるようになるといいんだけどね。
ナンテン

なんともきれいな赤い実をつけた。6月には「生で見るためにもそれまで散歩を続けなきゃ」と書いているが過去のわたしよ安心するがいい、今のわたしはちゃんと散歩を続けているぞ!
実は、参考ページの画像に写っている個体は、ある時に地域の草刈りかなにかで刈り取られてしまったのである。その後の生育状況から、今年は見られないかもなぁ…と半ば諦めていたものの、その隣にひっそりと生えていた背の低い個体の方が突然実を付けたのだ。『出ない杭は打たれなかった』というわけだね。よかったよかった。
おまけ:マチダ家のミニトマト

これが3日前の様子。現在は赤くなりそうな玉が2、3個あるのだが、これね…何度も成った最後のターンの実じゃないの。正真正銘、今年初めての実なのよ!
何か知らんが夏のあいだはさっぱり実を付けず、その代わりにどんどん大きく、すくすくと健康に伸び続けて、ついには184cmあるわたしの身長を追い越さんばかりに育った。こうなればもう、こいつはそういうつもりのヤツなんだと完全に諦めて、君の生きたいように生きよと。なりたいようになれよと。それでも水やりだけは毎日かかさず続けてきた結果、10月を過ぎて風が冷たくなってきた頃に突然実を付け始めたんだよねぇ。どういうつもりなのだろうか。
わたしは慌てて枯葉と、最上部の成長点を切り捨て(余計なことにエネルギーを割かないため)、実の成熟に全てを注げるようお膳立てをしてやった。この中からいくつの実が食べられるほどになるのかはわからないが、うまく言えないけれど、こういうことって人生においてもあるよなぁと、なんだかしみじみ思ってしまったという話なのでしたオツカレサマデシタ。