常体・敬体 文体に悩む

執筆者:

カテゴリ:

 「エッセイ等に用いる文体には常体(だ、である調)が向いている」という内容のエッセイを読んだ。

 敬体(ですます調)では常体に比べて文章が長くなるぶんその内容が薄まってしまう、というのがその趣旨で、まぁそう言われればそうなのかもしれないが薄まっては困るような内容を書こうとも思っていないわたしとしては、どうも決定打に欠けるなぁというのが正直なところで。

迷ったのでどちらも書いてみよう

 日常的に文章を書き始めてもう10年以上になる。

 いくつかの媒体に掲載してきたが、新たな媒体で書き始める時に毎回迷ってしまうのがこの「常体・敬体どっちで書くか問題」だ。

 丸々敬体で書いてきたパターンもあれば、会社で運営しているウェブマガジンなどでは、敬体で数年間書いてきたものを途中から常体に変えるという暴挙に出てみた。紙面上では文体はそのまま人格を表すと言っても過言ではないから、ある時から同名の別人が爆誕することになる。シンプルに敬体で書く気分では無くなったというだけのことなのだが、ずっと読んでいただいていた方にはさぞびっくりさせてしまったことだろう。

参考サイト⇒会社のウェブマガジン Reeazy

 当ウェブサイト「マチダの生活」では、その名の通りわたしの何気ない日常の事柄から、趣味の音楽、本、料理やお酒、また仕事であるウェブサイトの制作に関するアレコレなどを綴っていこうと思っている。今までで一番「本当の自分に近い」サイトになるだろう。ならば常体・敬体の向き不向きみたいな細かいことは抜きにして「自分らしい」と思える文体をチョイスすればいいじゃない、というのが本来であろうが、何が自分らしいかちゃんとわかってる人ってあんまりいないでしょ。例に漏れずわたしもわからん。

 ほな、試してみようか。

 ここまでは今までの流れで常体を使ってきたが、敬体でも何か書いてみよう。

スーパーで仕入れる業者はちょっと手加減して欲しい頼むから

 わたしの行きつけのスーパー「ツルヤ」は長野でも有数の名店です。

 生鮮食品はどれも新鮮でお安く、多くのツルヤオリジナル商品はどれもハイクオリティで魅力的。品揃えも抜群!となればそのユーザーはわたしのような個人だけでなく、多くの業者が仕入れ先として利用することになります。いいお店なんだから当たり前だし、基本的にはいいんだけどね…しかし…わたし的にとても困ってしまうのが「業者による大量買い」なんです。

生鮮食品やパン
素敵なスーパーだからこそ(画像はイメージです)

 例えば1月のある日。

 お雑煮に添える三つ葉が欲しくて売り場を探してみると、なんと欠品していました。

 アクリル板で区切られた三つ葉の売り場に値札はそのままかかっているものの、肝心の中身が空っぽ。え?三つ葉ってそんなに人気商品だったっけ?左右のほうれん草、水菜はたっぷりあるのに三つ葉だけが売り切れ。お正月シーズンだからいつもより色んな料理に活躍してるのかもなぁ残念だなぁと諦めて別の買い物を済ませていると、見つけちゃうわけですよ犯人を。

 若い男性が押すカートの上下に積まれた買い物かごの中に大量の白ネギ、三つ葉、あとキャベツかなんかだったかな。

 完全に業者です。

 かごから溢れかえった三つ葉の縦長の袋を1つこっそり拝借したいぐらい。何の業者かは知りませんが、個人のおうちであんな大量の三つ葉が必要になるシチュエーションって考えられないもの。だから業者です(断言)。業者ということにして話を進めます。

 ツルヤってこのパターンが本当に多くって。

 あれ?今日って旬のタラの芽が出てたはずなのに一つもない⇒店内でタラの芽をわんさか積んだカートに遭遇⇒業者です(断言)。牛すじの煮込みを作りたかったのに…なんで今日に限って売り切れなの?⇒店内で牛すじのパックをたんまり積んだカートに遭遇⇒業者です(断言)。

 まぁね。お店のメニューとしてタラの芽の天ぷらを出すんであれば1パックだけあってもしょうがないわけで。牛すじ肉もしかり。わかるんだけどさ…もうちょっと手加減してよ!売り場がスッカスカになるほど買い占めるのはやめてよぅぅぅぅぅぅ~…。

 真面目な話、業者さん(しつこいけど断言)が大量に必要になるのはしょうがないんだから、だったら事前にツルヤさんに連絡するなりしてあらかじめ準備してもらうみたいな対策は取れないものなんでしょうかね。それとも基本はそんな風にしてるんだけど、突然入用になってしまった時にそういう買い方になるのかしら。知らんけど。

 以上ですさようなら。

全く分からない

 ダメだやっぱりわからん。変な話どちらの文体も自分らしく思える。もちろん書き始める時のマインドセットは両者違うが、同じものの違う側面でしかないというか。結局はどちらも自分。

 面白いなと思ったのは、文体を変えることでただ「だ」が「です」に変わるだけでなく、その書き味や思考の順序も変わってしまうということだ。大雑把に言うと常体ではより硬く、敬体ではより柔らかくなる感じ。語句だけでなく思考の流れがね。

 そんなわけで今日のところは何も決めることが出来なかった。もしかしたらしばらく記事によって文体が変わるかもしれないが、初めのうちはどうせ誰の目にも留まらないだろうから気楽にやることにする。

 それでは。

投稿をさらに読み込む